
ウマイヤード・モスク及びサラディン廟のツーリスト用出口は、行きに通ってきた市場の柱廊広場にほど近い。上はその柱廊直下からモスクを見た写真。休日だがツーリスト目当ての露店が立っている。でも振り返った市場のアーケード側の店はひとつも開いておらず、閑散としている。

市場から離れて旧市街の居住区?を歩く。狭い路地やら坑道みたいなトンネル通路をくねくね歩くと、不意に建物の隙間からウマイヤード・モスクのミナレットが覗いた。
ミナレットとはキリスト教会のオルガンと同じくモスクになくてはならないもので、礼拝の時刻になるとこの塔からアザーン(アッラーアクバール…とかいうあれ)を唱え、信者に知らせる。本来は肉声で詠唱するものだが、現在はほとんどスピーカー。
そういえば昔の職場の当直室に、どこかの土産なのかミナレットが四本ついたモスク型の目覚まし時計を置いてった後輩がいた(made in china)。セットした時間になると「アッラーアクバール……」と鳴り出す優れものであった。
それとは別に、大昔「なるほど・ザ・ワールド」というクイズ番組内でごくシンプルな卓上時計が紹介されたのを見たことがある。
こちらはセットしなくても一日五回、礼拝の時刻に「アッラーアクバール……」と唱え出す画期的な大ヒット商品であった。ちなみにこちらはmade in japan。日本人商社マンの商魂の逞しさには頭が下がる。
ミナレットは夜間ライトアップされることが多く、何故か緑色が多い。正直あまり似合ってないと思うが、イスラム的におめでたい色なんだろうか? ヨハネの首を納めた霊廟も中のライトは緑色だったしなー。謎である。
ミナレットはモスクの格によって本数が異なる。確か「王様が建てたモスクは四本」「王妃(だったか王子だったか)」が建てたモスクは三本」「王子(だったら王族だったか)が建てたものは二本」「庶民の寄付で出来たモスクは一本」だったかな。
イスタンブールのブルーモスクは、不思議なことにミナレットが六本もある。これは設計担当者が王の「金(Altun)のミナレットを作れ」と命じたのを「六本(Alti)のミナレットを作れ」と聞き違えたからだという。おかしいなーと思いつつも聞き直さずに作ってしまったのだろう。
ヒューマンエラーの講習会を聴講した際、講師が「発端となった取り違えが起きたとき、人は最初おかしいなとは思うが無意識な思い込みを働かせ、それを納得してしまう。人々の思い込みが重なることで最初のミスは訂正される機会を失い、取り返しのつかない大きなミスが起こる」と言っていた。件のミナレットは、約四百年前に起きたその証明である。でもそのお陰で立派な観光資源になってるし、損失を伴うミスなのかどうかは長い時間が経たなきゃ分からん場合もあるのだろう。ドイツのノイシュヴァンシュタイン城とかな。

ウマイヤード・モスクの北側、裏手にあるのがサラディン廟。チケットを買うとモスクだけでなくこちらにも入場できる。もちろん肌見せ・髪見せ厳禁なので例のコートとスカーフで武装する。
サラディンはイスラムの英雄である。遺跡巡りをしていても、何かとサラディンの話が絡んでくることが多い。ガイドさんたちもサラディンについて語るときはとても誇らしげだ。
情けないことに、私はサラディンという人物を映画(Kingdom of Heaven)でしか知らなかった。作中で彼は聡明なイスラムの王として描かれており、演じた俳優(シリア人の映画俳優・監督、ハッサン・マスード)も貫録があった。「イスラムの偉大な王」程度のぼんやりとしたイメージしか持っていなかったが、回教徒たちの口から語られる彼の姿に、日本における坂本龍馬、勝海舟といった歴史の賢者、そして英雄に近い印象を持った。
彼らにとって、サラディンは永遠のスターでありヒーローなのだ。
これは余談であるが、私は趣味でバラを育てており、最近は特に丈夫なアンティーク・ローズに食指を伸ばしつつある。品種を選ぶ際に色々と調べるのだが、アンティーク・ローズの系統のひとつにダマスク・ローズと分類される一群がある。
名の由来はもちろん古都ダマスカスなのだが、ガイドさんの話によると、サラディンが数百本の苗木を十字軍に寄贈し、それがヨーロッパに渡りダマスク・ローズとして広まったらしい。
こんな乾いた灼熱の地にバラが育つのかと最初は半信半疑だったが(バラの原種の中にはイラン原産とかもある)、ダマスカス市内はもちろん、シリア、ヨルダンあちこちの街でがしがし花を付けているバラ達を見掛けた。中には古びた民家の庭先でクイーン・エリザベス並に巨大化し、尚且つ花束みたいにピンクホワイトの巨大な花をどっさり咲かせているバラもあった。あれなんて品種なんだろう。ほしい〜! 鉢植えで数日水やりしなくても枯れなさそう!

話をサラディンに戻しましょう。
上の写真はサラディン廟の内部に納められたサラディンの柩だ。(身内が写っている写真しかなかったのはご容赦願いたい) 不思議なことに、サラディンの柩はふたつある。もうひとつは写真の左にちょっとだけ映っている。手前の柩はドイツの神聖ローマ皇帝から贈られたという。大理石で葡萄の装飾が施された豪華なものだ。敵対しているはずのキリスト者からこれほどの柩を贈られたというエピソードからも、彼の偉大さが伝わってくる。

柱廊を抜けてモスクへ。細長いモスクの中は大勢の信者、そして観光客でいっぱいだ。祈りの時間ではないけど、中央の柵内では男達が、そして柵の外では女達が数珠を手に、また目を閉じて一心に祈っている。でも子供たちは元気いっぱい。柵を乗り越えたり水盤に昇ったりして遊んでいる。なんだかおおらかだ。

写真左手、モスク中央よりやや南側に、中を緑色のライトに照らされたガラス張りの霊廟らしきものがある。ヨハネの首塚だ。黙示録を著したヨハネではなく、イエス・キリストに洗礼を施したバプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)のものである。絵画や劇の題材として有名な『ヨハネとサロメ』の、あのヨハネだ。
ヘロデ王の後妻の謀略により処刑され、切り落とされたヨハネの首がここに納められている。ちなみに身体がどこに葬られたかは伝承がなく、謎のままだそうだ。
サロメに関しては古今東西、ドラマティックに脚色された作品が多々あるが、聖書のわずか数節からあそこまで物語を展開させた作家の方々の才能には恐れ入る。美女というのは今も昔も人々の想像力を掻き立てるものらしい。
蛇足だが、私がいちばん好きなサロメの物語は塩野七生の『サロメの乳母の話』である。賢くしたたかなサロメの姿が乳母の目を通して語られる短編だが、収録された他の作品も面白いのでおすすめ。
ヨハネといえば、彼がイエスに洗礼を授けたのは長らくヨルダン川(東岸)とされていたが、近年の発掘でヨルダン川に注ぐ支流のひとつであることが分かった。トロイのように、何層にもわたって教会が建設された跡が発見されたそうだ。洪水で流されるたびに作り直したのだという。それだけ重要な教会=ヨハネの洗礼所跡に建てられた教会だろう、というのが根拠のひとつらしい。ヨルダン人のガイドさんによれば「ヨルダン川は今も昔も泥水だが、支流は綺麗だ」とのこと。やっぱ川に全身浸けられるんだったら泥水より清流だよな。
大昔、中高とプロテスタントの学校で聖書を学んだ。今回の旅行では、聖書の舞台をいくつか回った。今までもトルコやエーゲ海の島々でイエスや弟子たちの足跡を見て回ったが、物語の舞台をこうして目の当たりにすると、やはりなんだかもう、うまく言えないけどとにかく感無量だ。キリスト教はこんな乾いた厳しい自然の中で生まれた宗教なんだなあ。
ついでにおまけ。
イエスたちが実際話した言語(西方アラム語)は既に失われているが、その親戚の東方アラム語はシリアの一部で今も使われている。ガイドブックには「イエスと同じ言葉を話している村」と紹介されているが、厳密には違う。

見学者用の門を入り、すぐ左手が管理事務所だ。ここで先述(10/09)のコートを借りる。腕だの脚だの、とにかく素肌が見えている女性は、これを着用しないとモスクもその隣のサラディン廟も見学できない。着用すると写真のようになる。因に頭髪はコートのフードではなく、自前のスカーフで隠した。
建物の入り口で靴を脱ぎ、持参したビニール袋に入れていざモスク入場(入り口と出口が違うので)。でもいきなり本殿ではなくて、まず上の写真のようなどでかい柱廊に出る。この柱廊とモスクとで、写真左側に覗く長方形の中庭をぐるり取り囲んでいる。

上の柱廊を中庭側から見た写真。この位置で右を向くと、モスク本殿?が視界に入る。写真奥右側の小さな建物は、日本でいう神社の手水舎。ここで手や足を洗ったり、口を濯いだりしてからメッカに向かい礼拝する。詳しい作法は知らないが、正式にやると色々と面倒だそうである。

市場(スーク)を抜けると広場に出て、ウマイヤード・モスクに突き当たる。写真はモスクを背に、市場の入り口を見たところ。遺跡のような古い石組みのアーチがそのまま使われている(一部崩れてるけど)。
モスクに入るには、イスラム教徒以外は裏に回らねばならない。モスクの北にある門から入り、肌の見える服装の女性はチャコールグレーのフード付きコートを借りる。男性も足が出ている場合はぶかぶかのズボンを借りて着用する。私はコートを借り、頭髪は自前のスカーフで隠して入場した。同行した女性は大きめの帽子を被って入場したが注意はされなかった。

休日の市場。前日は人々でごったがえしていたが、今日はご覧のとおり。年代物のアーケードは屋根に所々穴が開き、日差しが漏れている。クラシカルな雰囲気が良い。
前日は買い物と見物に夢中で、写真を一枚も撮っていなかったので市場の写真はこれしかない。
旧市街にはこのスーク・ハミディーエSouq Al-Hamidiyehの他、スーク・ミドハドパシャSouq Midhad Pasha、黄金市場、スパイス市場があり、徒歩圏内で散策できる。店舗の間口は一〜二間で表店は比較的奥行きがあるが、横道に入った裏店は非常に狭い。ガード下のアメ横に似ている。それこそ何でも売っており、手に入らないものはない、と言われているらしい。
面白かったのはアラブの歯ブラシ。アフリカ〜インドのイスラム圏で使用されているようだ。長さ十二〜三センチに切り揃えた小枝が束になって売っている。バラ売りも可能。値段は忘れたが、意外と高かった気がする。
他に香油(試薬ビンに入れられて何十種類も売っている。ジャスミン、ムスク、なんでもあり。調合してもらったり単品を選んだりして、アトマイザーやボトルに詰めてもらう)、ダンス衣装、銃や短剣等のアンティーク小物など、興味深いものもたくさん売っている。あれこれ値切るのも楽しい。
ちなみに、土産物はシリア、ヨルダンほぼ同じものが売っている。ほとんどがシリアで作られるらしく、値段は圧倒的にシリアのほうが安い。両国をまわるツアーも多いので、土産物はシリアで買うのがおすすめ。
市場でやけに目立ったのが、過激な下着の店。やたら数が多い。いわゆるセクシー下着(含エロ下着)が表店裏店問わず派手にディスプレイされ、ヒジャーブ(スカーフ)を被った女性や男達が堂々と出入りしているのだ。観光客向けという訳でも無さそうだしなあ…。教義上、家族以外に見せないという条件付きとはいえ、家の中では意外にオープンなのかもしれない。
あと気になったのが、シリアでは男性同士がとても仲が良いということ。変な意味ではなく。市場でも普通に腕を組んだり、手を繋いで歩く男性をよく見掛けた。軍人同士も手を繋いでいてびっくりしたが、シリアでは普通らしい。イスラム圏はみんなそうなのかと悩んだが(以前訪れたトルコやインドネシア(ジョグジャカルタ)はそんなことなかったし)後日ヨルダン人のガイドさんに「あれはシリアだけ」と教えられた。

イスラムでは金曜日が休日で、外出する人はほとんどいなくなる。前日訪れたときは人と車であふれ返っていた目抜き通りも、この通りがらがら。
ここは旧市街の外郭にあたり、振り返るとウマイヤード・モスク(現存する世界最古の現役モスク、A.D.715年竣工)に続くアーケード商店街(市場=スーク)の入り口がある。店舗を構え出店している店もあれば、路上に体重計を置いて座っているだけの男もいる(体重を量る商売なんだろうか?)。でも今日は休日なのでがらがら。ぽつぽつと観光客相手の露店が出ている程度であった。

世界最古の都市として知られるダマスカス。貴重な史跡もてんこもりだ。
写真はホテル前の路上から臨むカシオン山。人類最初の殺人事件が行われた場所である。楽園を追われたアダムとイブの息子たち、兄のカインと弟のアベルのふたりはそれぞれ神へと捧げ物を奉ったが、主なる神は弟の捧げ物のみを選び、彼を祝福された。それを恨んだ兄のカインは弟を殺してしまう。その舞台がここ、カシオン山だと旧約聖書に記されている。
現在は山頂にシリアの軍事基地があるため登頂できないが、山麓にはダマスカスの夜景を楽しめるレストランなどもあるそうだ。
シリアでは軍事施設や警察関連の施設を写真撮影することは固く禁じられており、うっかり写真の背景に入りそうになるとすぐに注意される。このホテルの向かいも何かの軍事施設だったらしく、この写真を撮ろうとしてカメラが少しそちらに向いたとき、歩道でお茶を飲んでるシリア人がダメだよ〜といった風に笑いながら注意してくれた。でも完全秘密主義かというとそんなことはなくて、砂漠地帯には金網で囲っただけの敷地に高射砲や戦車が無造作に並んでいたりするのがバスの窓から見える。
およそ一日半かけて飛行機を乗り継ぎ、カタール航空機でシリアのダマスカスに向かう。パキスタン航空は出発時にアザーン(アッラーアクバール…とかいうあれ。でも十年以上昔の話なので今は違うかも)が流れるらしいが、こちらは特に何もなし。
最後の乗り継ぎはドーハ空港であった。途中話題の海域の上空を通過(帰路はパキスタン上空を通過)、この下で同じ日本人が働いているんだなあと感慨深く思う。色々な意見があるが、彼らの働きによって国際社会における日本の評価が高まったのは事実だと思うので、難しい問題は抜きにしてまずは感謝。体調に気をつけて、無事日本に帰ってきて下さい。
ドーハの空港で乗り継ぎ待ち時間が七時間。仮眠室(ガードマンが巡回)で寝た。だが仮眠室に限らず、ドーハ空港は冷房効き過ぎでとにかく寒い。長袖を持ってきて正解だった。でも仮眠室より、となりにあるprayer's room(イスラム教徒がお祈りするための部屋)のほうが快適そうだったな…明るいけど。こっちはリラックスチェアだったが、あっちは絨毯敷き。横になっている人が数人いた。

三時間ほど寝てもまだまだ時間は余っている。免税店をうろうろしてピスタチオとNOW ARABIA 10なるCDを購入。初心者向きアラビア語講座らしき教材も売ってたのだが、媒体がカセットテープ。うちカセットデッキなくなってしまったので再生できない…諦めた。
帰国してからCDを聴いてみた。歌詞にところどころ英語が混じるのって、日本の歌に英語のフレーズがあるのと同じなんだな。英語が混じるとカッコイイゼ!みたいな感覚があちらの方々にもあるんだろうか。ちなみに待ち時間につまもうと思って買ったピスタチオだが、ラマダーン中だったのを失念していた。郷に入れば郷に従え、人前で飲食するのはさすがに憚られ、ホテルでつまんだ。
ちなみに旅行中ずっとラマダーンだったので、直射日光の降り注ぐ砂漠の遺跡でも、こそこそ隠れるようにして水を飲んだ。いや、ツーリストはいいんだろうけどなんとなく申し訳ないし。レストランやホテルでもアルコール禁という所が多かった。ラマダーンは日中の喫煙も禁じているとのことで、愛煙家愛飲家にはきわめて健康的、かつ禁欲的な旅行になったようだ。
最後の乗り継ぎはドーハ空港であった。途中話題の海域の上空を通過(帰路はパキスタン上空を通過)、この下で同じ日本人が働いているんだなあと感慨深く思う。色々な意見があるが、彼らの働きによって国際社会における日本の評価が高まったのは事実だと思うので、難しい問題は抜きにしてまずは感謝。体調に気をつけて、無事日本に帰ってきて下さい。
ドーハの空港で乗り継ぎ待ち時間が七時間。仮眠室(ガードマンが巡回)で寝た。だが仮眠室に限らず、ドーハ空港は冷房効き過ぎでとにかく寒い。長袖を持ってきて正解だった。でも仮眠室より、となりにあるprayer's room(イスラム教徒がお祈りするための部屋)のほうが快適そうだったな…明るいけど。こっちはリラックスチェアだったが、あっちは絨毯敷き。横になっている人が数人いた。

三時間ほど寝てもまだまだ時間は余っている。免税店をうろうろしてピスタチオとNOW ARABIA 10なるCDを購入。初心者向きアラビア語講座らしき教材も売ってたのだが、媒体がカセットテープ。うちカセットデッキなくなってしまったので再生できない…諦めた。
帰国してからCDを聴いてみた。歌詞にところどころ英語が混じるのって、日本の歌に英語のフレーズがあるのと同じなんだな。英語が混じるとカッコイイゼ!みたいな感覚があちらの方々にもあるんだろうか。ちなみに待ち時間につまもうと思って買ったピスタチオだが、ラマダーン中だったのを失念していた。郷に入れば郷に従え、人前で飲食するのはさすがに憚られ、ホテルでつまんだ。
ちなみに旅行中ずっとラマダーンだったので、直射日光の降り注ぐ砂漠の遺跡でも、こそこそ隠れるようにして水を飲んだ。いや、ツーリストはいいんだろうけどなんとなく申し訳ないし。レストランやホテルでもアルコール禁という所が多かった。ラマダーンは日中の喫煙も禁じているとのことで、愛煙家愛飲家にはきわめて健康的、かつ禁欲的な旅行になったようだ。

以前から行きたかったシリアとヨルダンにようやく行けたので、忘れないうちに記録しておこうと思った。旅行中心のブログになる予定。
写真はダマスカスからタドモール(パルミラ)へと向かうデザートハイウェイの途中、砂漠の真ん中の十字路。直進で目的地のタドモール、右に折れるとイラクに向かう。

